グスタフスベリについて

陶器工房としての始まり

1640年にストックホルムの東部フォルスタに貴族階級の住居建材として提供するための瓦工場が作られました。ストックホルムはデンマークからスウェーデン王国として独立してから首都として大きく発展、特に1600年代は人口は爆発的に増加。それにつれ煉瓦の需要も増え、フォルスタ(地名はのち煉瓦工場は創立者でもあるグスタフ氏の名をとってグスタフスベリ「スウェーデン語でグスタフの山」と呼ばれるようになります)は大きく発展しました。

その後1825年、煉瓦工場はオーナーが代わりグスタフスベリ陶器工房としてスタート。
イギリスからの技術とボーンチャイナ(骨灰磁器)の材料となる陶土を受け入れることでイギリス風磁器の製作を始めました。そのころ現在でも使用されている錨をモチーフとしたロゴもつくられ、中流、上流貴族階級向けの陶器製作は徐々に軌道にのっていきます。

【ボーンチャイナ】

1748年イギリスで原料となる土に牛の骨粉を混ぜた陶土で、これまでにない良質な磁器の製作に成功。中国や日本から輸入され珍重されていた白磁器とは異なり、乳白色ではありましたが暖かでなめらかな質感はイギリス独特の磁器として注目を集めました。やがてボーンチャイナと呼ばれイギリスを代表するスポード、ウェジウッド、ロイヤルドルトンなどのメーカーで製作され、今も世界中に多くの愛好家を生み出しています。

グスタフスベリへの産業革命の影響

しかし18世紀中頃、イギリスで世界を変える産業革命がおきました。その影響は比較的工業化が進んでいたスウェーデンにも波及し、その結果低品質な工業製品が大量に市場に出回るようになりました。それにあわせるかのように北欧諸国において、ナショナリズムとも呼応して新古典主義が台頭。

スウェーデンでは従来持っていた伝統な美術手工芸への回帰を促す流れが出てきました。グスタフスベリもその動きとは無縁ではなく、形成されつつあった労働者階級いわゆる一般庶民の日常生活を満たすような、美しい工芸品を提供しようと製品開発を行うようになってきました。

スウェーデンブランドの萌芽

1845年にスウェーデンブランド向上をめざし、国が積極的に主導する形で設立されたスウェーデン工芸工業デザイン協会は、ドイツのバウハウスを影響を受けながら自然主義的でありつつ機能性と実用性の高いデザインを提示。工業デザインと美術工芸はスウェーデンにおいては乖離することなく、同じベクトルを向いてうまく融合していきました。その理念をグスタフスベリも取り入れていくようになり、そして積極的に商品開発に美術家の起用を行なうようになります。

ヴィルヘルム・コーゲの登場

1917年、ヴィルヘルム・コーゲがグスタフスベリへ入社します。絵画・グラフィックデザインを学んだ彼はチーフデザイナーに就任。産業革命の影響で失われようとする伝統的な技術を内包させた古典的なデザインに、シンプルかつ実用・機能的な要素を組み込むという新しいデザインを模索します。そして日常の機能性を重要視しながら、そこにモダニズムを融合させる北欧デザインを誕生させます。

ヴィルヘルム・コーゲは自身の知名度とともに、グスタフスベリを世界的な陶器メーカーとしてその地位を押し上げるのに大きく貢献しました。

【ヴィルヘルム・コーゲ】

1889年、ストックホルム(Stockholm)で生まれました。ヨーデボリのヴァランド美術学校で絵画を、その後ミュンヘンのポスターデザインの学校でグラフィックデザインを学び、1917年には老舗陶器メーカーのグスタフスベリのチーフデザインに就任します。そこにはスウェーデンブランドの向上を国が積極的に主導する形で、1845年に設立されたスウェーデン工芸工業デザイン協会の存在があります。グスタフスベリを含む国内メーカーは産業革命の影響で失われようとする伝統的な技術を維持しながら、美術工芸品ではない生活ニーズを要求される品に、新しいデザインを誕生させようとする試みを行おうとしていました。その期待に応えウィルヘルム・コーゲは日常の機能性を重要視しながら、そこにモダニズムを融合させる北欧デザインを誕生させます。

スティグ・リンドベリに継承される北欧モダニズム

1950年代半ばに国際巡回した「デザイン・イン・スカンジナビア展」の成功でスカンジナビア諸国のモダンデザインが注目を浴びることになります。

その流れの中で、コーゲの後継者として登場したスティグ・リンドベリは、「よりよい生活のための道具つくり」をテーマに、機能的でシンプルでありながら自然の暖かさを感じさせるクラフト志向の作品を発表、その作品は北欧モダンデザインの代名詞ともされ、グスタフスベリは黄金時代を迎えます。コーゲが模索した新しいデザインをリンドベリは北欧モダンデザインと呼ばれる形にしたともいえます。

【スティグ・リンドベリ】

1916年、ウメオ(Umea)で生まれました。スウェーデン国立美術工芸大学(Konstfack)で絵画を学び、1937年にグスタフスベリ社に入社。すぐにヴィルヘルム・コーゲのアシスタントを務め、1940年に同社アートディレクターに就任、北欧モダンデザインの旗手として活躍しました。「よりよい生活のための道具つくり」をベースに日用品であるテーブルウェアに美しさを持たせる優れたデザインを発表、コーゲの後継者としてグスタフスベリをさらに躍進させます。扱う素材はセラミックに限らず、ガラスや当時は新素材の扱いをうけていたプラスティックと幅広く、実験的な視野をも持ち合わせたデザイナーでした。絵本のイラスト挿絵やテキスタイルなども多く発表しており、優れた評価を受けています。また数回、訪日もしており、その縁もあり西武百貨店の包装紙をデザインしています。

グスタフスベリの黄金時代の終わり

1970年代に入ると、石油ショックによる北欧を始めとするヨーロッパ経済の停滞による輸出不振、生産費の安い海外陶器メーカーの競争の激化により優位性を持っていた競争力もしだいに失われていきます。プラスチックなど新素材を使った大量生産される製品によって、グスタフスベリは徐々に事業を解体、縮小化していき、時代を牽引した輝きをなくしていきました。陶器製造部門は1984年にアラビアに買収され、ロールストランドと事業合併移行され、製造をも移行してしまいました。現在ではHPF Gustavsbergとしてかつての名作の復刻版を製造。 なおアラビア、ロールストランドともにイッタラの傘下であるため、ブランド名は残しているもののイッタラグループに属しています。